あーちゃん☆くん様に描いていただいた藍崎璃生です!
身を挺して人々のトラウマを昇華させるサイコダイバーです!
「あなたの想像したことは全てお見通しなのでノープロブレムです」

朝の光が、ゆっくりと天頂のスクリーンを滑っていく。
都市外縁にある巨大なドーム――「静域区画」の照明制御プログラムが、時間とともに発光角度を変えて、空間の調光を演出している。
藍崎璃生はベッドから起き上がると、軽く伸びをした。視界いっぱいに広がるのは、淡い緑の芝生。風のような微細な空気流が肌を撫で、人工の香りがわずかに混じる。
この空間は、彼女ひとりのために設計された。外気との接触を断ちながらも、開放感を失わないように設計された閉鎖庭園。直径百メートルを超える穹窿の下には、小川があり、ベンチがあり、遠くに模擬の丘がある。だが、誰もいない。声もない。ただ、機械の律動だけが世界を保っている。
以前は、璃生が寂しくないように生体ではない機体が、ここに存在して小さな社会を模倣していたが、璃生の願いによって撤去してしまった。
一人、璃生は裸足で芝生を歩きながら、いつもと同じ習慣をこなす。川辺に腰を下ろし、手を水に浸す。温度は季節ごとに調整されており、春なら少し冷たく、秋ならぬるい。その細やかさが、逆に“人工”を感じさせるのだが、彼女は気にしない。
天然物には強く魂が宿っていて、心を感じてしてまう。だから人工物のほうがクールダウンの時間を効率的に過ごすことができるのだった。
「おはようございます、璃生さん」
空間に響くのは、管理AIの声だ。
彼女は微笑んで答える。
「おはよう。今日もいい天気ね」
「はい。外界の気象データに合わせて再現しています。人の活動ノイズは完全に遮断済みです」
「……そう」
その“完全に”という言葉が、胸に少しだけ刺さる。
璃生は本当は、静けさを愛しているわけではない。かつての彼女は、誰よりも人の中にいた。笑い合い、悩みを聞き、涙を受け止めるカウンセラーとして、彼女は多くの心を救ってきた。だがある日、彼女の脳は過負荷を起こした。無意識のうちに、隣人たちの思考が洪水のように流れ込んできた。彼女が人を思うほどに、人の感情が彼女を蝕んでいった。
だから今、ここにいる。人々は彼女を恐れず、また責めなかった。むしろ、彼女の存在が社会に必要だと信じ、この広大な“静かな世界”を用意してくれた。けれど――それは同時に、彼女を孤独な世界へ閉じ込めたということでもある。
昼、璃生は居住区の一角にあるホログラフィの机に向かう。通信回線を通じて届くのは、都市心理センターから送られた“心波データ”。匿名化された心の揺らぎの記録を、彼女は解析する。数値ではなく、音と光で感じ取るそのデータは、まるで生き物の呼吸のようだ。
彼女は指先をかざす。青い波形が小刻みに震え、感情のリズムを映し出す。
「この人、昨夜は泣いていたのね……」
小さく呟く声は、彼女自身の胸の奥に染み込むように消えていった。璃生は、決して心を読むわけではない。ただ、誰かの痛みを“感じる”のだ。それが彼女の役割であり、生きる理由だった。
午後になると、璃生は散歩に出る。ドームの端には、静かな池がある。水面には小型の無人艇が浮かび、定期的に水を循環させている。彼女はベンチに腰をかけ、空を見上げた。人工の雲が、ゆっくりと形を変えながら流れていく。その動きを見ていると、不思議と安心する。たとえ作り物でも、空は空だ。それに、風は本当に心地よい。
「ねえ、あなた」
思わず声が漏れた。誰もいないのに、つい話しかけてしまう。まるで誰かが隣にいるように。
「今日は外、どうなってるの? みんなは元気?」
返事はない。けれど、ふと耳の奥で、笑い声が聞こえた気がした。幻聴でもいい、と璃生は思う。人の気配を感じるだけで、胸が温かくなるのだから。
夜が近づくと、照明が夕焼け色に変わる。オレンジと薄紅の境が、芝生を柔らかく染め上げる。璃生は温かな空気の中で、ベンチに座ったまま目を閉じた。空調の風が髪を揺らし、遠くで水音が弾ける。その静寂の中、彼女は小さく祈る。
――明日も、誰かが幸せでありますように。
その願いは、ドームの壁を超えて届くことはない。けれど、誰かがどこかで笑ってくれたら、それでいい。それが藍崎璃生の生きる術だった。
光がゆっくりと消え、夜が訪れる。彼女は自動灯の明かりを背に、寝台へと戻る。その顔には、安らぎと、少しの悲しさが混ざっている。
──おやすみなさい。

